只今車が車検なので、代車の軽トラで鎌倉を走りまくってる。
しかし・・・・『何でやねん』と突っ込みを入れたくなる軽トラ。
とくに大仏前の道は外国人が多いうえに渋滞でちょくちょく停車する。
ちょっと恥ずかしい???・・・・
いやっ恥ずかしいというのはウソでちょっと楽しい。(笑)
今日はよっしゃ目だったろうと大仏前のお土産やで1年ほど前に買った。日章旗に大日本帝国海軍と書いてるTシャツでコーディネイトしてみたらコンビニでインド人にじ~~~~っと見つめられた。(笑)
何でもええから楽しみたい俺の得意技を発揮できた日はうれしい!!
本日のテーマは『無駄な主張』
この無駄な主張を車検が終るまで楽しめる!!
明日はこれで鎌倉山で廃品回収するちゅうのもええかも?しれん。
『こう見えてもあなた達よりたかい丘やで私は』という主張になる。
でもこれをやるにはさすがに根性いるな~~~。(笑)
というわけで・・・・この軽トラの命名も
見たまんまの・・・・・
『ビバリーヒルズ号』
と名付けた。
二子玉川もこれで行ける!!
何か知らんけど俺・・・・
そういう場所に・・・・
縁あるんかもしれんなァ~~~!
解説。
2010-10-01 18:57:34 (14 years ago)
解説が必要との事で・・・・まとめました。
作品名 『戦』SEN
戦いは時に鬼と変貌し、鬼となったその耳は畜生程度にしか聞き入れない。
この世界で一番醜い戦い戦争の主たる人物はまさにそのようである。
しかしその真逆、戦わずして生きる者もまた同様のようである。
今を生きるこの時代の正しい戦いとは何であるかを考えたい。
鉄という素材も時に鬼と変貌し、火を噴く兵器となる。しかしその逆は畑を耕し生きるための道具になる。鉄をあつかう同じ職人として兵器をつくる職人がいるとすれば、彼らは何と戦っているのでしょうか。
神なのか鬼なのか、神であるとすれば神の耳が畜生の耳であるのか
人の耳が畜生に勝るとは思えない。
神であるなら人の耳では失礼だと感じた。
鉄職人 小宮 賢人
賛否両論の上にあぐらをかくつもりなく
神か鬼かの是非も問わず
流れに流れて辿りついたただの通過点
目に見える神や仏の存在は
職人の仕業に違いない。
仕事とは・・・
2010-09-22 17:17:32 (14 years ago)
ほとんどおまかせという看板を制作中です。
木の枝の表現を今の自分が向き合ってる鉄で表現しました。
植物を鉄で作るという技法はヨーロッパならではの鍛鉄。やはり自分なりの工法でやりたい・・・。 鉄とのセッションがはじまる。最初は頭の中で描いてはじめるのだが、予想通り、想像通りの物になるかどうかが不安で不安で仕方ない。 ちゃんと予想どおりのイメージになるなと確信したころから身体と頭に異変が起こる。 それはみょォ~~~~な緊張感???期待感?? まだそこは修行中なのでこれと言ったこたえはないが、例えて近いのは、徒競走の前のドキドキ感と似てます。しかしあきらかに違うスチュエーションは、勝ち負けもなけりゃライバルもおらん。そやのに誰に?緊張し、誰と戦うんやろう???
この答えを知りたい!!
知りたいからこの仕事を続ける。
仕事が嫌いやからこそなせる業です!!
えっ 誰の仕事?より
えっ 誰の仕業???
いたずら的仕事です!!
いやっ仕業です!!
魂とは・・・
2010-09-16 17:39:50 (14 years ago)
たまたま見つけた岩にすっぽり入った。
この3ヵ月後、鎌倉山で生まれた作品『戦』もすっぽりと入ってた。
不思議としか言いようのない『縁』に導かれ・・・
恐れ多くも場所は、大仏と長谷観音を結ぶピタゴラスの定理的位置であります。
この作品『戦』は、仏師運慶作戦いの神様、毘沙門天の写真がひょんな縁で舞い込み、それを現代における道具と技にてどれぐらいの表現ができるかという挑戦がはじまりでした。
制作の過程のなかで見えぬものが見えたりした。仏に近づく唇の角度を知った。鼻がとてもエロティックやと感じた。まだまだ色々と感じたことが山ほどあるのですがこのへんで・・・
最終的には神様というプレッシャーがのしかかり、完成させるべきか否かの頃『天からの声』を聞き、畜生の耳をつけ鬼にした。天からの声???と書きましたが、実は嫁はんの声でして・・・そないに深い意味はなくただの夫婦の会話です。(笑)
最終的に自分では鬼と思って仕上げたつもりが・・・・・・
どうしても脳裏に神という恐れ多きものを作ろうという最初の志からか、運慶という偉大な仏師であり親方であり職人であった先人の大きさなのか・・・
鬼に勝る仏心と言いますか? 仏のような気が・・・します。
鬼は云う。
鬼が云う。
鬼やから云う。
云う鬼は・・・・・
魂です。
この3ヵ月後、鎌倉山で生まれた作品『戦』もすっぽりと入ってた。
不思議としか言いようのない『縁』に導かれ・・・
恐れ多くも場所は、大仏と長谷観音を結ぶピタゴラスの定理的位置であります。
この作品『戦』は、仏師運慶作戦いの神様、毘沙門天の写真がひょんな縁で舞い込み、それを現代における道具と技にてどれぐらいの表現ができるかという挑戦がはじまりでした。
制作の過程のなかで見えぬものが見えたりした。仏に近づく唇の角度を知った。鼻がとてもエロティックやと感じた。まだまだ色々と感じたことが山ほどあるのですがこのへんで・・・
最終的には神様というプレッシャーがのしかかり、完成させるべきか否かの頃『天からの声』を聞き、畜生の耳をつけ鬼にした。天からの声???と書きましたが、実は嫁はんの声でして・・・そないに深い意味はなくただの夫婦の会話です。(笑)
最終的に自分では鬼と思って仕上げたつもりが・・・・・・
どうしても脳裏に神という恐れ多きものを作ろうという最初の志からか、運慶という偉大な仏師であり親方であり職人であった先人の大きさなのか・・・
鬼に勝る仏心と言いますか? 仏のような気が・・・します。
鬼は云う。
鬼が云う。
鬼やから云う。
云う鬼は・・・・・
魂です。
セッション
2010-09-14 16:37:49 (14 years ago)
鎌倉へ来て、オーダーメイドを再開し早2年が経ちました。
未だに順風満帆とはとてもいえませんが、ヨーソローヨーソローと前進はしてます???
そんなこんなで今日、こっちに来てからの鉄との関わりかたが大きく変わったことに気付きました。それは製作するにあたって自ら大きく『デザイン』していないのです。
小宮製作所への依頼は90パーセントが依頼主のデザインなのです。残りの10パーセントはもちろん鉄を知るものとしてのアドバイスでありあります。
最初から小宮製作所のコンセプトとして『鉄職人』としてやって行こう!!と決めていたのでそれに対してなんの違和感もありません。むしろ蒔いた種がそのとおりの芽がでたという感じです。それが最近とことんおもろなってきた!! というか過去振りかえっても自分でデザイン?したもので売れたもの???は3パーセントぐらいで現在の消費税より2パーセント劣るような実績である(笑) これで未開の地で商売しようと考えるというのは下痢の日に紐パンをはいてるような不安感からのスタートでした。
とにかく私が目指すものは、結果はどうあれ人としても親としても職人としても・・・
先輩としても後輩としても友人としても
『ほんもの』になりたい! と思ってます。
されどまだまだ未熟者で本物とは何か?を修行しながらですが・・・
でも!!本物はまだわからんが偽者はわかってる。
それはなんやかんや言いながら、結局自分の事しか考えてへん奴!!
っているやろ!! それが偽者や!
本物になりたい俺は、辛い苦しい乗り越え
デザインではなく
鉄とセッションする。